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ジョニィとヴァレンタインはどちらが正しい?二人の正義を徹底考察

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SBR
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『スティール・ボール・ラン(SBR)』終盤で激突するジョニィ・ジョースターとファニー・ヴァレンタイン。

主人公とラスボスという関係ですが、二人の戦いは単純な「正義VS悪」ではありません。

「ヴァレンタインはアメリカを守ろうとしていただけでは?」
「むしろジョニィの方が自分勝手なのでは?」
「結局どちらが正しかった?」

と疑問に感じた人もいるでしょう。

結論からいうと、どちらにも本人なりの正義がありますが、作品全体を見るとヴァレンタインの正義には“他者へ犠牲を押しつける”という大きな問題があります。

一方のジョニィも、最初から清廉な正義の主人公ではありません。

だからこそ二人の対決は、「善人と悪人」ではなく、異なる価値観を持った二人が自分の信じる道をぶつけ合う戦いとして描かれています。

この記事では、ジョニィとヴァレンタインの目的や行動を比較しながら、「二人のどちらが正しかったのか」を考察します。

※ここから『スティール・ボール・ラン』のネタバレを含みます。

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結論|ヴァレンタインの正義には「他人へ不幸を押しつける」という問題がある

最初に結論をまとめると、ジョニィとヴァレンタインの対立は、

ジョニィ=自分や大切な人のために前へ進む

ヴァレンタイン=国家のために他者を犠牲にしてでも目的を達成する

という違いがあります。

ヴァレンタインの目的だけを見ると、完全な悪人には見えません。

彼が求めているのはアメリカの繁栄だからです。

しかし問題は、そのためなら他国や無関係な人々へ不幸を押しつけても構わないと考えていること。

対するジョニィも、自分の目的のためなら非情な判断をすることがあります。

そのため、

「ジョニィ=完全な善」

「ヴァレンタイン=完全な悪」

という構図ではありません。

むしろSBRでは、正義とは誰の立場から見るかによって変わることが描かれているように思えます。

ジョニィの目的は最初から正義ではなかった

ジョニィは主人公ですが、最初から世界を救おうとしていたわけではありません。彼がSBRレースへ参加した最大のきっかけは、ジャイロの「回転」です。

下半身不随となったジョニィは、ジャイロの回転に触れたことで脚が反応したことに気づきます。

そこで、

「回転の秘密を知れば、もう一度歩けるかもしれない」

と考え、ジャイロを追いかけます。

かなり個人的な動機です。

世界平和でも国家のためでもありません。

「自分がもう一度歩きたい」。

そこからジョニィの旅は始まりました。

この点だけを見ると、国家の未来を考えているヴァレンタインの方が立派に見えるかもしれません。

しかしSBRが面白いのは、物語が進むにつれて二人の「正義」の本質が見えてくるところです。

ヴァレンタインの正義は「アメリカを幸福にすること」

ファニー・ヴァレンタインはアメリカ合衆国大統領です。

彼の目的は「聖なる遺体」をアメリカに集めること。

遺体の力によってアメリカへ幸運を集め、国家を繁栄させようとしていました。

つまりヴァレンタインは、

「世界を支配して自分だけ贅沢したい」

というタイプのラスボスではありません。

彼なりに国家の未来を考えています。

大統領として、

「自分の国と国民を守る」

という使命感を持っているわけです。

そのためヴァレンタインを、

「実は正義なのでは?」

と感じる読者がいるのも不思議ではありません。

ヴァレンタインの「ナプキン理論」とは?

ヴァレンタインの思想を象徴しているのが、いわゆるナプキンのたとえです。

テーブルに座った人々の前にナプキンが置かれているとします。

誰か一人が最初に右側のナプキンを取れば、他の人も右側を取る。

逆に左側を取れば、全員が左側を取る。

つまり社会では、

「最初に基準を決める者が、その後のルールを支配する」

という考え方です。

ヴァレンタインは、アメリカこそがその「最初にナプキンを取る国」であるべきだと考えています。

世界の中心となり、基準を決める側へ回る。

そのために聖なる遺体が必要だったのです。

この思想には大統領としての強烈な責任感と、国家主義的な価値観が表れています。

D4Cラブトレインはヴァレンタインの正義そのもの

ヴァレンタインの思想を最も分かりやすく表しているのが、D4Cラブトレインです。

ラブトレインは、ヴァレンタインへ向かう「不幸」を遠くへ逸らします。

その結果、自分の側には幸運が集まり、代わりに世界のどこかへ不幸が押しつけられることになります。

これはまさにヴァレンタインの思想そのもの。

アメリカを幸福にする。
その代わりに他の場所が不幸になる。

ヴァレンタインにとって、アメリカ国民を守れるなら合理的な選択なのかもしれません。

しかし不幸を押しつけられる側から見れば、決して「正義」とは呼べないでしょう。

D4Cラブトレインとは?能力・弱点を解説

ヴァレンタインの最大の問題は「犠牲者に選択権がない」こと

ヴァレンタインの正義で最も問題なのは、犠牲になる人々がその選択に同意していないことです。

例えば、

「100人を救うために1人を犠牲にする」

という判断があったとしても、その1人が自ら犠牲を選ぶのと、誰かに強制されるのでは意味が違います。

ヴァレンタインの場合、

「アメリカを幸福にするため、他の誰かが不幸になることを勝手に決めている」

という構造になります。

しかも犠牲になるのは、彼の計画とは無関係な人々です。目的が国家の繁栄だからといって、すべての手段が正当化されるわけではありません。

ここにヴァレンタインの「正義」の危険性があります。

ではジョニィは正しいのか?

一方で、ジョニィを完全な正義として扱うのも違うでしょう。

ジョニィは非常に人間臭い主人公です。

目的のために強い執着を見せ、ときには冷酷な判断もします。

聖なる遺体をめぐって戦う理由にも、個人的な願いやジャイロへの思いが大きく影響しています。

つまり、

「世界のために悪の大統領を倒す正義のヒーロー」

ではありません。

むしろジョニィは最後まで、自分自身の信念に従って戦っています。この点ではヴァレンタインと似ています。

二人とも、

「自分が正しいと思った道から簡単には退かない」

人物なのです。

ジョニィとヴァレンタインは実は似ている?

敵対する二人ですが、意外と共通点があります。

どちらも非常に強い「執着」を持っています。

ジョニィは自分が前へ進むため、そしてジャイロから受け継いだものを貫くために戦います。

ヴァレンタインはアメリカの繁栄のため、聖なる遺体を絶対に手に入れようとします。

さらに二人とも、

目的のためなら危険を恐れない

という強烈な覚悟を持っています。

だからこそ最後の戦いは、単なるスタンド能力の相性ではありません。

「どちらの覚悟が最後まで貫かれるのか」という戦いにも見えます。

決定的な違いは「自分が代償を負うか」

二人を比較すると、非常に興味深い違いが見えてきます。

ジョニィは、自分の選択によって自分自身も傷つきます。命を危険にさらしながら前へ進み、その結果を自分で背負おうとします。

一方、ヴァレンタインのラブトレインは、自分へ向かう不幸を他人へ移す能力です。

ここには象徴的な違いがあります。

ジョニィ=自分も傷つきながら前へ進む

ヴァレンタイン=自分側の不幸を他者へ押しつける

この対比こそ、SBR終盤における二人の「正義」の違いを表しているのではないでしょうか。

ヴァレンタインは本当に悪人なのか?

では、ヴァレンタインは悪人なのでしょうか。

これは「完全な悪」と断定すると、彼というキャラクターの魅力を見落としてしまいます。

ヴァレンタインには明確な信念があります。

アメリカを繁栄させたいという目的自体も、大統領という立場から見れば理解できる部分があります。

だからこそ厄介なのです。

彼は自分が悪事をしていると考えながら行動しているのではなく、自分こそが正しいと信じて行動しています。

しかし、「正しい目的があること」と「その行動まで正しいこと」は別問題。

他人を犠牲にし、その意思を無視して目的を達成しようとする行動まで正当化することはできません。

SBRでは、この「目的と手段の違い」がヴァレンタインを通して描かれているように見えます。

最後の取引でヴァレンタインの本質が見える

ジョニィとヴァレンタインの戦いで特に重要なのが、決着直前のやり取りです。

無限の回転を受けたヴァレンタインはジョニィへ取引を持ちかけます。

ジョニィも、ヴァレンタインが本当に約束を守るのであれば、その提案を受け入れる可能性を見せます。

しかしジョニィは完全には信用しません。

そこでヴァレンタインの言葉が真実なのかを確かめようとします。

最終的に明らかになるのは、ヴァレンタインがなおもジョニィを出し抜こうとしていたことでした。

この場面は非常に重要です。

ヴァレンタインは「国家のため」という崇高な目的を語ります。しかし目的を達成するためなら、最後まで欺きや殺害という手段を捨てませんでした。

つまり彼の敗北は、能力だけではなく、自分の正義のためなら手段を選ばないという姿勢が招いたものとも考えられます。

ジャイロの存在がジョニィの正義を変えた

ジョニィの正義を考えるうえでは、ジャイロの存在も欠かせません。

物語序盤のジョニィは、

「自分が歩けるようになりたい」

という個人的な目的でジャイロを追いかけます。

しかし旅を続ける中で、ジャイロとの間に強い信頼が生まれます。

やがてジョニィは、自分一人の願いだけではなく、ジャイロから受け取ったものを背負って戦うようになります。

ここが物語序盤との大きな違いです。

ジョニィの正義は最初から完成していたわけではありません。

旅を通して変化していった正義なのです。

結局ジョニィとヴァレンタインはどちらが正しい?

筆者の考察としては、ジョニィ側の方が作品の示す価値観に近いと考えます。

ただし、それはジョニィが道徳的に完璧だからではありません。

ジョニィは自分勝手なところもあり、冷酷さも持っています。

一方ヴァレンタインには、大統領として国を守ろうとする強い責任感があります。

それでも両者には、

自分の選択の代償を誰が負うのか

という大きな違いがあります。

ジョニィは傷つきながら自分で前へ進む。

ヴァレンタインは自国へ幸運を集め、その代償となる不幸を他者へ送る。

この構図を考えると、SBRは「大義を掲げれば何をしても許されるわけではない」というテーマも描いているのではないでしょうか。

まとめ|SBRが描いたのは「正義VS悪」ではなく「正義VS正義」

ジョニィとヴァレンタインの戦いは、単純な正義と悪の対決ではありません。

二人の正義を整理すると、

ジョニィ
自分自身の願いから旅を始める

ジャイロとの旅を通して成長する

自分の選択の結果を自分で背負いながら前へ進む

ヴァレンタイン
アメリカを繁栄させたい

聖なる遺体を集める

自国へ幸運を集め、他者へ不幸を押しつけることも正当化する

という違いがあります。

ヴァレンタインの目的だけを見れば、彼を単純な悪人とは呼べません。

しかし、どれほど立派な目的でも、そのために無関係な人々を犠牲にしてよいとは限らない。

一方ジョニィも完璧な英雄ではありません。

自分の欲望や弱さを抱え、それでもジャイロとの旅を通して自分なりの答えを見つけていきます。

だからこそ二人の戦いは面白いのでしょう。

「誰のための正義なのか」
「その正義の代償を誰が払うのか」
「目的が正しければ手段も許されるのか」

SBRはジョニィとヴァレンタインという対照的な二人を通して、「正義」という言葉が決して一つの答えだけでは語れないことを描いているのかもしれません。

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